青森ねぶた祭

300万人以上の観光客が集まる

「青森ねぶた祭」は、日本を代表する夏祭りの一つです。
青森県青森市にて催され、毎年、延べ300万人以上の観光客を呼び寄せる大規模なお祭りです。
1980年には、国の「重要無形民俗文化財」に指定されました。
起源としてよく知られているのは、後に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となる坂上田村麻呂が、陸奥国の蝦夷征討(えみしせいとう)の戦場において敵を油断させておびき寄せるために大燈籠・笛・太鼓等ではやし立てたことに由来しているというものです。

「青森ねぶた祭」の最優秀団体に与えられる賞として、1962年に「田村麿賞(現在では「ねぶた大賞」と名称変更されている)」が制定されました。
現在では、日本全国にある土着の七夕祭りや眠り流しの行事(禊祓い(みそぎばらい))が変化したものと考えるのが主流です。

ねぶたの形

ねぶたという言葉の意味には、お祭りそのものを指す場合、七夕行事を指す場合、祭りで使う山車、もしくは山車の部分を指す場合があります。
元々は、ねぶた祭りでは大型の灯籠(とうろう)を担いで町中を練り歩いていました。
その後、竹で骨組みを作り、その上に和紙を貼って筆で絵を描いた人形型ねぶたが登場しました。

昭和30年代に、北川啓三というねぶた師が針金を用いて指を一本ずつまで丁寧に表現した複雑なねぶたを作ったことで、ねぶた界を驚かせ、革命が起きました。
北川の技法は、当初は一部で反発があったと言われていますが、その表現性の高さからすぐに主流になりました。

北川は、内部の明かりをロウソクから蛍光灯に替え、台座にバッテリーを乗せることによって明るく光るねぶたを作ることに成功しました。
現在の主流となっているねぶたは、北川が築いたと言えます。

北川は、より芸術性と完成度を高め、後に「ねぶたの神様」と評される様になりました。
その後、佐藤伝蔵や鹿内一生によって、更にねぶた制作の技術が高められ、現代のねぶたの形にたどり着きました。

開催状況

毎年8月2~7日の期間開催されます。
この内、8月2~6日が夜間運行です。
7日は昼間運行ですが、夜に花火大会が催されます。

8月1日には、前夜祭が行われます。
「青森ねぶた祭」の開催にかかる費用は、約2億2000万円とされています。
青森のねぶたには、「大型ねぶた」、「子供ねぶた」、「地域ねぶた」があります。

「地域ねぶた」や「子供ねぶた」は主に町内会が主流となって運行するねぶたで、大きさは普通の大型ねぶたより小さいのが特徴です。
このイベントは8月2・3日の二日間運行されます。
大型ねぶたは、開催期間中必ず運行されます。

奨励金が関係しているのかどうかは定かではありませんが、2日・3日においては大型ねぶたの台数が少ないと言われています。
昔は雨天中止もありましたが、現在では雨天でもビニールをかぶせて運行されます。
ねぶたの形によっては、一部がビニールに穴を開けてはみ出してしまうこともあります。