龍勢祭り

ロケットが龍のように空を舞う

「龍勢祭り」とは、埼玉県秩父市吉田で執り行われる祭り「椋神社例大祭」です。
椋神社で執り行われる秋季例大祭「龍勢祭」で、代々伝承されてきた、「龍勢」と呼ばれる手作りロケットを奉納する行事の事です。

毎年地域の人や観光客まで親しまれています。
能勢祭りとは、「能勢」と呼ばれる矢柄を櫓に向けて打ち上げます。
龍の昇天に似ていることから龍勢と呼ばれているロケットです。

龍勢と呼ばれるロケットを放つ

ロケットと同じ原理で、噴射は約500mの高さまで上昇します。
ロケットなので、どうして竹をも金属制を思うかもしれませんが、長い竹を割り、それを縦に二つに切ってくりぬいて、それを合わせて竹のタガをかけます。

その中に火薬を入れ込んだ、いわば花火に近いものです。
火薬は、梢石、炭や硫黄を混ぜたものを使っています。
噴射口を作ってから、その竹ロケットに背負いものを作ります。
色々な流派があるのですが、秘伝と独自の工夫を凝らして、検討を重ねて、真心こめて製作しています。

どうしてもロケットものを500mほどに飛ばすとなれば、安全が懸念されますが、龍勢保存会の検査員がしっかりとチェックをしたものしか打ち上げられません。
龍勢には27流派がありますが、それぞれが独自に、そして伝承あるものをもとに個性的に、そして祭りの奉納物として、祈りを込めて作られています。
その勢いとこの一年を祈念するものに、祭りに来られた方たちは魅了されます。

前日には、徹夜で30数本の龍勢を警備しながら、晴れの夜明けを迎えます。
観客の方が打ち上げの成功を祈り、一喜一憂する中、一定の間隔を置きつつ全部で三十数本もの龍勢が打ち上げられ、それは相当の見ものです。
本当に龍が舞い上がる姿に見える事もありそうな勢いで放ちます。

実際に成功する龍勢もありますが、失敗に終わってしまう龍勢もあります。
それでも皆が応援している、祈りを感じます。

「龍勢祭り」の歴史

「龍勢祭」は平成12年度から第二日曜日に定期的に行われるようになりました。
朝の8:40~17:00頃までずっと打ち上げられています。
打ち上げ前に読まれる「口上」と呼ばれる、言葉もすごくいいです。
龍勢の勢いや祭りを盛り上げてくれます。その後の龍勢は本当に打ちあがると歓声があがり、空に舞い上がる華やかな風景に圧倒されます。

今を取り入れた楽しい祭り

秩父を舞台にしたアニメで「あの日を見た花の名前を僕達はまだ知らない。」ではこのロケットが出てきます。
それにちなんで、「あの花」龍勢もあります。
このアニメのお陰で観光客は増えてきているようです。

一年の祈りと共に龍勢の勢いに、普段の何かが晴れ渡るような花火とは違う、盛大な祭りを堪能できます。都内からも1時間ちょっとで来れる距離ですので、1日はもちろん少しでも打ち上げを楽しむ事ができます。

キリスト祭

キリストの墓がある!?青森県新郷村

「キリスト祭」と呼ばれる祭りが日本に存在している事を知っていますか?
キリスト教の人達の集まりかと思いきや、イエス・キリストの墓が日本にあると言います。

イエス・キリストは実は日本で亡くなっていたと言います。
新郷村に「キリストの墓」と表示されている墓があります。観光名所のようになっていて、地元では有名な話です。

キリストの里伝承館に行くと竹内巨麿が公開した古文書「竹内文書」を元に書かれた伝説を見ることができます。
竹内氏はこの伝説を聞いてすぐに、自分の足で新郷村を訪れてキリストの墓と思われる場所を発見したと言われています。

また、1936年には考古学者たちの一行がカタカナで書かれた「キリストの遺書」を見つけたほか、地質学者で考古学者でもある山根キク氏が自分の著書で新郷村とキリストの関係についてとりあげたことで、新郷村は不思議な由縁のある神秘の村として注目を浴びています。

キリストが日本にいた!?

キリストはゴルゴダの丘で死んだと聖書に書いてあったはず。
しかし、キリストゴルゴダの丘で亡くなったとする言い伝えは間違いであり、実はひそかに処刑を免れ生き延びて日本に渡っていたというのです。
八戸港へ上陸してからは一人山に住みついて、地元の人からは「天狗」と言われて恐れられていたそうです。
亡くなる際にはカナと漢字で遺書を書き記し、青森県にある新郷村でその生涯を閉じたとされています。
106歳の人生だったということまで細かく記載されています。

信じがたい事実で、本当なのか?と疑問いっぱいになりますが、色々な研究者たちによってキリストの墓は実際に発見されて以来、崇められているのです。

三大宗教と言われているキリスト教の教祖が日本で亡くなったと言えば、それはすごい事です。
青森県の新郷村、人口は3,500人ほどしかいない小さな村なのですが、青森あげて、この墓をまもり、そして祭りを開いてきました。
キリストの墓は八戸市内から車を走らせて1時間ほどの距離にあります。
十和田湖東の長閑で緑豊かな村にキリストの墓があるとは、知らない人にとっては信じがたいでしょう。

新郷村でキリスト祭を行うことに

それを「キリスト祭」と言います。
「キリスト祭」は、新郷村あげて執り行われます。
この地でその生涯を閉じたと伝えられているキリストの霊を慰めるためとして、昭和39 年から現在に至るまで開催しています。

キリストであるのに関わらず、神道で行われます。
不思議な魅力のあるお祭りです。
慰霊祭は、まず神官が祝詞を奏上し、つづいて、玉串奉奠や獅子舞、ナニャドヤラという地方特有の盆踊りが行われます。
なお、ナニャドヤラという呪文のような言葉はキリストが唱えたものと言われています。
すべて合わせても約90分ほどの行事です。

新郷村のキリスト伝説

キリストが亡くなってから実に2000年といわれているが、実はその墓を村がずっと守ってきたというわけではないようです。
昭和10年に見つかってから、新郷村が沸き、村をあげて墓を守り、神を崇めるように祭りが始まったと言います。

キリストの墓が本当であるか真実は分からずとも、この新郷村の習俗にはいくつかの不思議な事があります。
かつて青森にあった村、戸来(へらい)はその言葉の響きから語源が「ヘブライ」であるという説があります。
また、父親のことを「アヤ」あるいは「ダダ」、母親に対しては「アパ」や「ガガ」と呼ぶこと、さらに家紋として代々ダビデの星とよばれる六芒星を使用している家が存在することなど、もしかしたら、本当にキリストは青森に…!と思わせる伝統があるのは確かです。
そのミステリーを感じるのに、キリスト祭に足を運ぶのはおもしろいかもしれません。